ペダルを踏まなくなるその日まで

悲しいけれどいつかは自転車に跨らなくなる日がきます、必ず。世界が認めたジオパークである阿蘇に自走で行けることに感謝しつつパワーをもらいに駆け巡るのが今、私が一番したい事。脚力と気力が尽きるまで。(旧にゃんともじてんさ)

脳裏の中の背中

見ず知らずの人の背中があまりにもステキすぎてちょっとキュンとした。
夏って薄着になる→筋肉が浮き彫りという具合。

スタイルのいい人は、世の中たくさんいる。
洒落た服装をしてそれなりに闊歩すればきっとその人はかっこよく映るだろう。
でも、人間にも本能というものがほんの少しだけ残っていて(猫が安全な野草を選び分けて捕食するように)一瞬にしてその人の本質を見抜こうとする能力が働く。

いい服を着ても中身スッカラカンの人だとチャラく見えちゃうでしょ?
中身のないカッコだけの芸能人がすぐ消えてくように・・・。
逆に(今風に言えば)持ってる人ってどんな格好してても惹きつけられちゃう・・・
そんな人って自分を磨くことの本当の意味を無意識的にわかってるから、どんどん向上して中身ずっしり詰まってくる。
自分を磨くという意識がなく普段見聞を広げ、身体も鍛錬されているという風に・・・。

でも、“自分は常に発展してますよ、鍛えてますよ”的な匂いをプンプン漂わせてしまうと嫌気されてしまう可能性が高い。
あからさまなアピールは、普段は必要ない。
自分を磨く目的は純粋な向上心欲であり他人にアピールするためではない。
そこが、嫌味かそうでないかの違いではなかろうか?

昨日、アタシが( ゚д゚)ハッ!とした人は、言葉では表現できない雰囲気をかもしだしている。グレー無地のTシャツに作業着らしきコットンのパンツ。
普段は風景に埋もれてしまうような洒落っ気みじんもない服装。
まあ、工事現場の作業服に魅力を感じる女性も多いが、アタシはそうではない。

人生のうち出遭った人物や景色が、残像のように脳裏に刻まれることが人それぞれ必ずあると思うが、昨日の彼はアタシの脳裏に刻まれた。

きっとあの背中はわすれないだろう・・・。

そして、自分を振り返る。
自分で自分の背中を見ることはできない。
他人からみてどんな背中をしているのだろう?
5年、10年先の自分が今の自分の背中をみてどう思うだろう?
あの背中に近づく事は、できるのだろうか・・・・?