ペダルを踏まなくなるその日まで

悲しいけれどいつかは自転車に跨らなくなる日がきます、必ず。世界が認めたジオパークである阿蘇に自走で行けることに感謝しつつパワーをもらいに駆け巡るのが今、私が一番したい事。脚力と気力が尽きるまで。(旧にゃんともじてんさ)

幸せであるということの確認

自身の記録的な目的で今回は、個人的な感情をさらけ出しちゃいます。
はぁ?という方スルーして下さい。

実は・・・というか私バツイチです。
調停まではいかなかったものの協議離婚でもお互いの心がすれ違い話し合いも出来ぬ状態で放り出された時は憎しみの気持ちでいっぱいでした。
離婚して1~2年は憎いながらも、よくもこんな濃い人間に仕立ててくれたという感謝もありましたが、釈然としない未消化の気持ちに囚われていました。

時間経過がお薬なのか、新しい生活と社会に出て行くことにより自然とそれも薄れてきました。

元の方と知り合う前の自分は何でも人任せで自分で何とかしようというタイプではなく、
その点では随分と矯正され、取り組む姿勢を根本から変えてくれたのは紛れもない事実です。
もともとの凝り性もあり、背中を押されると自分で加速させて転がり突き詰めていく性格であると 見破られていたようです。
それにより自立性も探求性もツールを使いこなす事も身につき、行動的になりました。

で、現在。
これと持ち前の個性と合わさり、今まで夫婦2人の生活内での狭い世界から沢山の方といろんな分野について突っ込んだお話も前にも増して凄く交流が広まりました。

周りの人に心から感謝をしていると偶然の出会いやいい事が次々に訪れてきました。
不幸なことが起きても 不幸中の幸いという捕らえ方を自然とするようになり、また感謝の気持ちを抱く。。。。

私は以前より身体が弱く、入退院を繰り返してきました。
輸血も繰り返しました、生死を彷徨ったことも、がんの告知を受けたことも、選択的術式でやむなく苦痛に耐えながらも治療してもらったことも。
そして命の期限と病気と闘う沢山の同志が奪われていく経験も・・・。

病で1mmも動けない、1秒1秒が息をするのも辛い、痛い、苦しいという経験も超えてきました。
動きたくても動けない経験は、普通の生活を普通に暮らせるだけで素晴らしいという感謝の気持ちを気付かせてくれた貴重なものでした。

普通に息ができ、歩く、走る、眠る、食べる、休む、笑う、泣く という動作がどんなに幸せであるか?
また、近くで寄り添ってくれる人がどんなに大事か?
近くにいるほど感謝の気持ちも忘れ煙たがって居ないだろうか?
おせっかいかもしれなくても 無償の愛を与え支えてくれる人を受け止めて感謝を表現できているか?
失った時に気づいては遅いんです。

友人は波乱万丈と私の人生をこういいます。
でも私は、笑顔と感謝を与え続けるという大切さに気付かせてもらうために生きて経験させてもらったと思います。

つい先日、たまたま昔の住まいの前を通りかかった時に 私から沸いてくる感情がどんな風に変化したか素直に感じてみたかった・・・。
夕飯もとっくに過ぎたであろうくつろぎの時間帯に 依然乗っていた大型の四輪駆動車と庭の風景と前の方がそこに居るであろう部屋の明かりが少しだけ垣間見えました。

離婚当初見ても嫌な感情しかわかなかったものが、物に対しては愛おしくて懐かしく
元の方には愛という感情は全くありませんが、表面上でも仲直りし会話を交わしてみてもいいかなとまで思えたのです。
この感情は、自分でも驚きました、
私は囚われていたものから解き放たれましたが、相手の状況はわかりませんので決して行動は起こしたりはしません。
離婚したての時にはわからなかった原因も、ここ1年でうっすらですがなんとなくわかってきました。
私を妻としてではなく子供として捉えてた感情(父性)が、思いどうりにコントロールできなくなったときに父性の愛情が怒りに変わり歯止めが利かなくなったようでした。

3年もすれば許せるんでしょうか、時間の経過と環境とは刻々と変化していくんですね。
自己性格観察からして許しの感情が難しい方だったため特に意外です。
それは、現在の勤務先や周りの環境すべてが幸せであることだと思わさせてくれます。

そして、日頃から不平不満ではなく感謝と笑顔を失わなければ周りにも伝染し、いざと言う時に助けていただけます。
過去の鍛錬、学んだことすべてがムダではなくいつか何か実をつけます。機が熟すのを待てばいいんです。
なので、病気で休養しなければいけないときでも 無駄に時間を費やすこともせず何かに打ち込む、調べるなどは必ず行うことは出来るでしょう。
私は、せっかちです。時間が一番の宝だと常に思ってきました。
お子さんの教育にも共通しますが、無駄に過ごさず時間を自分の肥やしに費やす。これが深い交流、知識を得られるのではないでしょうか?

ケガを負ってこれから先時間も費用もかかってしまいますが、人生折り返しても今が凄く幸せと感じることができたことは感謝です。今まで私に携わってくれた方々に・・・。
おこがましいですが、笑顔を同調させて楽しく過ごせたら幸せも倍になります。
そして継続してずっと笑顔でいれたら 傍に居る人も心をとかしてくれるかもしれませんね。

きっと普通すぎて気付かない事に幸せは潜んでいます。
見えるものだって大切ですが、見えないものはすぐには手に入りません。
そこに気付いてあげられるように・・・